看護師父さんの仕事と勉強の記録

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zoom RSS 看護師の直観的観察判断  國岡 照子, 本間 千代子, 小林 八代枝

<<   作成日時 : 2015/12/04 23:27   >>

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ベテラン看護師の直観というのが、どうやって生まれるのかなと思って、読んでみた。

本書の内容の中心は、
人間の気分を測定するために開発された「日本版Mood Scales尺度(MS)」をもちて、
看護師が直観的に判断した患者さんの気分が、当の患者さんの気分とどのくらい一致しているのか?
という一連の研究を紹介している部分。

最後の方で、
その直観がどのようにしたら育まれるのかについて少し触れられている。




まず、研究の結果より、
看護師としての経験と直観的判断の正確性についての関係について分かる部分を抜粋。

熟達した看護師(20年以上の看護経験を融資、看護師長経験10年以上)の場合
危機群における患者の自己評定によるMSの平均値は10.89±1.78で、看護師の直感的観察判断と患者より得たMS値10点以上との一致率は88%であった。
一般群のMSの平均値は7.46±1.74で、看護師の直感的観察判断のMS値9点以下との一致率は94%であった。p85


看護師と患者のMS値の一致率は、臨床経験5〜7年では37人中28人(75.68%)で、10〜12年では43人中33人(76.74%)であり、有意差がみられなかった。
不一致率は、臨床経験5〜7年では9人(24.32%)、10年〜12年では10人(23.26%)であった。p98


この部分は大雑把に言うと、
ベテランの看護師は、患者さんの気分を88%〜94%くらいの正確さで見抜き、
経験年数5〜12年くらいの看護師では75%くらいの正確さで見抜く、
といううことだと思う。

ベテランの方が患者さんの気分を見抜く力が高いのは、
当然といえば当然と言えるのかも知れないけど。


では、なぜ気分を見抜けないことがあるのか?
ということについては、

@中堅看護師が直感的観察判断したが患者とのMS血の一致がなく、ずれがみられた内容を質的に分析した結果は、「先入観」「固定観念」「患者の変化に気づかない」「情報の見落とし」「知識・理解不足」「患者がありのままに表現しない」の6つの要因が抽出された。
A「先入観」「固定観念」は自由に柔軟に捉える感受性を阻み、直感的観察判断を妨げ、それ以後の相互作用部分の「患者の変化に気がつかない」や「情報の見落とし」などを引き起こしていた。p114


というような記載があった。

「先入観」や「固定観念」をもって相手をみていたなと反省することは、
看護師をしているとよくあることだと思う。

というよりも、
まず「先入観」や「固定観念」を持っていることが前提にあって、
それをなくして相手を見ることはできないのかもしれないとも思う。

たいていの場合、何かを考えるときには、
自分の中に何かしらの基準や前例があって、それに当てはめながら考えていくのだな。

看護学生とかで、まったくなんの経験のない場合には、
自分の中に判断する基準みたいなものが何もないので、
その人がどのような状況なのか、その人に何をしていいのか、まったく思いつかないと思う。

せいぜい、自分のおじいちゃんやおばあちゃんなどの身近な人が病気だった時のことを思い出して、
そこから考えていったりするくらい。

なので、教科書でバイタルサインとか検査データとかの正常値をいっしょうけんめい調べて、
その知識に当てはめながら判断をしていく。

そのうちに少し経験を積むと、
数値的なものも大切だけど、患者さんの訴えがどのくらい真剣で、その訴えに対して、自分はどのような対応をする必要があるのか、
というようなことも見えてくるようになるのだと思う。

たとえば患者さんに、
「もう死んでしまいたい」と言われたときに、
パニックになったりせず、これは「生きたい」の裏返しでいっているのだなとか考えれたり、
いまにも何かしらの行動に移ってしまいそうだな、とか予測できたり、
そういう違い分かるようになってくる。

ただそれも、
自分のした経験による「先入観」や「固定観念」の賜物でしかないく、
はずれることがある。

看護師をある程度長くやっていると、
自分の先入観や固定観念がぶち壊されることが何度もあって、
いろいろな考え方があるものだなぁ、とか、いろんな考え方や感じ方をする人がいるものだなぁ、とか、
自分の考えていることが、まさしく自分の考えでしかないことに気がつかされる。

そのようにして少しづつ、
自分の先入観や固定観念から自由になっていくのだと思う。

しかし、自由になるといっても、自分の経験の枠を超えることはできないから、
自分の経験した中から、このような場合はこう判断できるんじゃないだろうか?と考えるわけで、
経験が増えることで考えられる幅も広がる、
ということだろう。

つまりベテラン看護師になる道は、
多くの経験をつみ、その経験を自分の糧にできるように日々振り返り反省する、
ということの繰り返しかなと思う。

日々振り返り反省するって、
ある程度経験を積むと、
だんだんできなくなっていくんですけど。




続いて後半の、
看護師としての成長について書かれたところから何箇所か抜粋。


看護は、そもそも人間を対象として全存在的にかかわっていく仕事であり、看護師の人格や人間性そのものが看護の手段となる。看護師は常にありのままの自己を振り返り、気づいたことを意識化することにより、自己を肯定できるという、そのプロセスが自己成長につながっていく。同時に感性を磨き豊かにしていくことが、直感的観察判断の力を育むものと確信している。p128

とくに、
看護師の人格や人間性そのものが看護の手段となる
という部分。

学校や現場ではあまり言われないことだと思う。

これはつまり、
自分の個性を看護に生かしていい、ということだろうから、
看護師としての「プロ意識」みたいなものとは少し相反する気もするけど、
私としてはこちらの考え方の方が好きだな。



人間に対する理解のしかたについて、自ら振り返り、一人ひとりの違いに気づき、現実の自分の傾向を知り、他者との違いを気づくことで、気持ちが自由になり、自他ともに肯定でき、変化できることで自己成長につながると考える。p129

私にしてみても、
自分の考えは自分のものでしかない、
ということに気がついてきたのは、
最近かなと思う。

黙っていてもわかってもらえる、
みたいなのは甘えなのだな。



「我ー汝の関係」における生きた人間とより深い出会いを真実とする構えが大切である。自分自身が相手(他者)を、どのように捉えているかに気づく(知る)ことで、観察点や感じかたも異なってくるため、相手の対応も違ってくるのである。この構えが身につくにつれ、また新しい経験を積むことによって、経験知に基づく熟達した直感的観察判断ができるようになると考えられる。p129

自分が相手をどのように捉えているかを知ること。

簡単なことではないと思う。

だれかと対峙した時の自分自身の感情について、
もう少し意識的になってみようと思った。



真の人間関係に重要な基本的態度について知る

@純粋性または自己一致(Self-congruence)
純粋であるとは、深層ないし無意識のレベルにある自己の態度を、表に出てくる外面においても別の態度をとることなく、できるだけ自分自身の感情を明らかにすることである。

A無条件の肯定的配慮または受容(自己受容、他者受容)
受容とは、相手の条件、行動、感情がどのようなものであれ、無条件に価値ある人間として、その人に温かい配慮をもつことである。

B共感的理解
まったく私的な個人的意味をもつ相手の世界を、あたかも自分のもののように感知することである。
p130


これらは、恋人同士とか夫婦とか、ごく親しい人に必要な関係のような気もする。

看護師と患者との関係もこのようなものであるべきだということなら、
看護師という仕事はほんとにすごい仕事だなと思う。

私としては、
看護師としてこのレベルには、到底到達できそうにないなと思います。


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